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福江簡易裁判所 昭和37年(ろ)22号 判決

被告人 藤田善一郎

昭三・八・三一生 労務員

主文

被告人は無罪。

理由

第一公訴事実の要旨・家屋焼燬の事実

本件公訴事実の要旨は、「被告人は、福江市東浜町七三九番地所在の九州商船株式会社福江支店の倉庫労務員であるが、昭和三七年九月二五日午後六時頃より右倉庫の宿直勤務に就き、午後一〇時頃就寝し、翌二六日午前〇時五分乃至一時頃までの間に一旦起きて、タバコを吸いながら右倉庫を見廻つた際、その吸殼を完全に消火しないで倉庫内に投げ捨てれば、同所には藁屑などが散乱し、かつコモ包みやケースなどが集積されているため、右吸殼の火がこれらに引火する危険性があるにもかかわらず、不注意にも完全に消火しない吸殼を、右倉庫内の久賀・二本楠など方面荷物置場附近に投げ捨て、そのまま就寝した過失により、同日午前二時頃右吸殼より附近の荷物に燃え移り、現に人の住居に使用する右倉庫およびこれに隣接した附近の住家など三九七戸を焼燬するに至らしめた。」というのであり、昭和三七年九月二六日午前二時過ぎ頃、右倉庫から出火し、同倉庫および近辺の現に人の住居に使用する住家など三九七戸が焼燬したことは、第二回公判調書中の証人中村ナル、同林春子、同谷川儀七、同清水彦吉、同梁瀬タネ、同川端音吉、同出口松次、同川口一および第三回公判調書中の証人才津イチ子、同清水ナル、同谷川トシノの各供述記載ならびに福江市長田口馬次作成の「捜査関係事項照会書回答」と題する書面により認める。

第二出火原因と当事者の主張

(1)  検察官の主張

本件記録に徴すると、右出火の原因は「九月二六日の倉庫宿直員であつた被告人が、同日午前〇時五分乃至一時頃、再び目をさまし、床の中で腹ばつて、巻煙草一本(「いこい」か「しんせい」)に火をつけ、半分位吸い、履物をはき、煙草を吸いながら中二階下部荷物置場附近まで出て、附近を見渡し、一寸位になつた吸いかけの煙草を右手親指と人さし指で捻じ切るようにして、荷物のそばに投げ棄て、煙草の火は消えていると思つて再び寝た。しかしながら右煙草の火が完全に消えていなかつたため、これから附近の荷物に燃え移り、さらに家屋を焼燬するに至つた。」と主張する。

(2)  被告人ならびに弁護人の主張

本件記録に徴すると、被告人が当夜右倉庫の宿直員であつたことは認める。しかしながら九月二六日午前〇時五分頃から一時頃までの間に一旦起きて倉庫内を見廻つたことはない。いわんやその時煙草を吸つたことはない。と主張する。

第三捜査官に対する被告人の自白と、この調書に対する被告人および弁護人の主張

被告人の当公判廷における供述(公判調書中の供述記載を含む。)、および証人大久保稔の証言、ならび一件記録に徴すると、被告人の自白を録取した調書のうち、失火事実に関する具体的記載があるものは、

(A)  37年9月27日付 警部大久保稔作成   (以下A調書と略称)

(B)  同年10月1日付 右同人作成      (同 B調書と略称)

(C)  同年10月3日付 検察官羽田辰男作成  (同 C調書と略称)

(D)  同年10月1日付 裁判官の勾留尋問調書 (同 D調書と略称)

(E)  同年10月9日付 警部陣内辰末作成の実況見分調書中の被告人の説明部分 (同 E調書と略称)

の五通である。そして被告人および弁護人は、右A乃至C調書は、「被告人を不当に拘束したうえ、心理的強制を加えて自白を強要したすえ、被告人の不任意な自白を録取したものであり、いずれも任意性を欠く。」と主張する。(なおD調書は証拠とすることに同意し、E調書の右説明部分については別段の主張はしていない。)また本件記録にあるその余の捜査官作成の調書についても任意性を争つている。

第四A乃至E調書の供述記載の比較対照とその結果

前記各調書の任意性の有無の判断に供するため、まず前記A乃至E調書の各失火事実の供述記載部分のみを左に摘記し、これを比較対照してみる。

(1)  A調書の供述記載(記録一四四五丁裏以下)

「次に目をさましたのが午前一時頃であつた。そのときには柱時計を見たから、およその時刻を知つたのであるが、正確なところではないが午前一時頃であつたことは間違いない。そのとき枕許に置いてあつたタバコを起きながら一本取り出し、置いていたマツチで火をつけて、土間のツツカケを履いて腰をおろして吸い、半分位吸つた頃に、くわえタバコのままで宿直室の出入口を出て、二、三歩位行つた附近に立ち止り、倉庫の中一面に目を通し、異常がないことを認めた。そこで一々表戸から東側と廻つて錠をたしかめることをしないで、部屋の前からたしかめ、附近を二、三歩位動いた程度であつた。そのとき部屋から火をつけて持つて出たタバコをだいぶん吸つて半分以下位に残つた分(吸殼のままと判読すべきであろう。)を、その附近に捨てたまま引返して、床についた。」

(2)  B調書の供述記載(同一四八六丁裏以下)

「また目がさめた。そのとき寝たままの状態で、正面の天井下にかかつている時計をながめたところ、文字盤の12と1のところを二本の針がさしていた。そのときは午前一時頃と思つたが、長短針の位置いかんでは一二時五分かもわからず、もしかしたらそうだつたかもしれない。いずれにしても一二時過ぎか一時頃に目をさましたことは間違いない。それから枕許に用意していた新らしいタバコを一本取り出し、マツチもいつしよに用意して置いていたので、寝たままマツチをすつて、タバコに火をつけて、床の上に腹ばいの型になつて暫らく吸つた。起きあがる頃までに半分位は吸いへらしていた。そのタバコを口にくわえながら、ツツカケを履いて、出入口の机の横まで一応行つた。そしてその場所から見える範囲で倉庫の中を見たが、また少し歩いて出入口から二・三歩位前まで進んで、一面に倉庫内を見渡した。この間タバコは口にくわえたり、手の指にはさんだりして吸い続けた。倉庫内は別に変つた様子もなかつたので、その場にしばらく立つて、タバコを吸いながら見渡し、そのまま部屋に引揚げた。その引揚げ際に、床の中から火をつけて吸つていたタバコをそのまま吸い続けて持つていたので残りも短くなつていたのを、部屋の出入口から二・三歩位の位置と思われる久賀・二本楠・荒川方面行の荷物を投積みしてある、その足許(被告人の足許と解すべきであろうか?)附近に火のついている吸殼の火を、手前の方からもみ出すような要領でもみ落し、その吸殼もまたいつしよに同じ附近に捨てた。」

(3)  C調書の供述記載(同六〇一丁裏以下)

「次に目をさましたのは夜中の一二時五分か一時頃で、うとうとしてはつと目をさましたとき時計を見たら針が1と12のところを指していた。そのときは一時だと思つたが、たしかめてないので一二時五分かもわからぬ。このときはまずその場で腹ばいになり、タバコを一本抜いてマツチで火をつけ、そのまま新らしいタバコを半分位まで吸い、ゆつくりと土間に足をおろし、ツツカケ草履をはき、さらに一・二服したうえ、ゆつくりした足取りで休憩室を出て、中二階にあがるハシゴの手前約三尺位の地点に行き、倉庫内をざつと見渡し、異常がなかつたのでそこに立ち止り、また何回かタバコを吸い、一寸ぐらいになつたので、いつもするように、火のついたところを、右手の親指と人さし指で一回ねじきるようにして、その場に投げ捨てて、部屋に戻つた。」

(4)  D調書の供述記載(同八五九丁以下)

「一二時頃から午前一時頃にかけて目をさまし、その時も倉庫内をたしかめたが異常はなかつた。ただこのとき『いこい』一本を吸つて、爪さきで消して、土間に捨てた。…………私が指先で消したと思つて捨てたタバコの火が消えておらず、それが土間にあつたチリなどに燃え移つて大火になつたと思う。」

(5)  E調書中の被告人の指示説明などによる実況見分調書の記載(同三二三丁以下)

「同調書の三二四丁裏の『現場の状況3』の記載ならびに付図および同図面上の説明部分、添付の写真などを精査しても、吸殼の落下地点を明確に知ることができない。(被告人の足跡部分が落下地点というのか?そこに立つて投げすてたもので落下地点は別の場所であるというのであろうか?判読し難い。)

以上A乃至Eの五調書の記載を比較対照すると、タバコの吸いかた、被告人が宿直室を出て戻るまでの足どり、吸殼を捨てた位置、吸殼の火の消しかたおよび捨てかた等、僅々数分間以内と推定される期間の行動につき、各調書とも極めて微妙ではあるが、そしてまた最も重大な事柄ばかりにつき(なおこの時刻以前の被告人の行動については当該各調書の記載は殆んど相違せず、十分に事実を確定できるが。)区々に相違していることを発見する(なお被告人のいう後記「第一の方法」とも相違点がある。)。このことは、その記載内容の信用性はさておき、まず後記任意性に関する争点と関聯して、極めて重要な因果関係を有するものと判断する。

第五捜査官の取調状況のうち、主として外部的事実についての考察

被告人の当公判廷における供述および証人大久保稔の証言ならびに前記A乃至E調書などの一件記録に徴すると、

(1)  被告人は、二六日午前三時か三時過ぎ頃、福江市大波止の九州商船株式会社福江支店にいるところを、福江署員から任意同行を求められ、承諾して同署に赴いた。

(2)  しかし同署も延焼の危機が迫つたので、署員同伴で、福江中学校に行つた。

(3)  さらに署員同伴で、捜査本部となつたキリスト教会に赴き、ここで調べが始まるのを待機していた。

(4)  やがて午後一時頃(被告人供述)か同三時頃(大久保証言)から大久保警部による取調べが始まつた。当日の取調べは午後一〇時過ぎ(大久保証言)か一一時頃(被告人供述)まで、その間食事時間として一時間あて位の休憩を得た外は、概ね継続された。

(5)  当日は供述調書を作成するまでに至らず、また被告人は失火事実を認めていない。

(6)  キリスト教会での取調べが終つてから(終了時刻の相違につき前(4))、署員同伴で(多分大久保もいつしよに)、自動車で、善教寺に赴いた。

(7)  当時善教寺は、応援に来福した警察職員が少くとも数十名以上宿泊していた。被告人は同寺の少くとも数十畳敷きの御堂で、前記多数の署員の寝ているほぼ直ん中辺りに、左右から署員に脇寝されて寝に就いた。(この点について、以上の認定と異る大久保証言は措信し難い。)

(8)  被告人は、翌二七日は善教寺で、署員といつしよに、朝食し(被告人はよく眠れず、一口も食べなかつたと述べている。)、署員に連れられて、キリスト教会に赴き、午前八時頃(被告人供述)か九時(大久保証言)頃から、大久保警部の取調べが始つた。そして当日午後のおそい時刻頃になつて被告人の自白が始まつた。そこでそれまでは「参考人」(重要参考人とも言う。)として調べていたものを「被疑者」にきりかえ、弁解を録取し(以上大久保証言)、最初の自白調書となつたA調書が作成された。調書の作成を終えたのは午後九時(大久保証言)か一一時前頃(被告人供述)であつた。なおこの日も毎食事時刻に約一時間宛ぐらいの休憩を与えられた外は、概ね取調べは継続された。

(9)  なお大久保警部より被告人に対し(その時刻は自白開始前に)「被告人の妻が急病で倒れ、意識不明になつている」旨を告げられた(なおこのことは自白の任意性に影響はなかつたと被告人は述べている。)。

(10)  右(9)の事情があつたので、A調書作成後(時刻の相違につき右(8))、署員同伴で、自動車で、自宅(火災にあつていない。)に帰つた。当夜は自宅で一泊した。

(11)  その翌日の二八日は、朝八時頃、署員が自宅にいた被告人を呼びに来たので、承諾して同行し、キリスト教会に赴いた。すぐに大久保警部の取調べが始り(取調べ内容は、前日の調書のとりなおし程度)、午前一〇時頃元教員養成所に移つて、午後の薄暗くなる頃まで取調べを受けた。そして午後七時過頃に逮捕状を執行された。

(12)  その後おもだつたものとしては、一〇月一日にB調書およびD調書が、一〇月三日にC調書が、一〇月九日にE調書が作成され、一〇月一四日に釈放となつた。なおその後一〇月一七日に被告人の求めにより同日付羽田検事作成の供述調書(否認調書)が作成された。

以上の事実を認めることができる。

第六捜査官の取調べ状況のうち、主として内部的事実に関する考察

〔一〕  まず被告人の供述(公判調書中の供述記載を含む。)による取調べ状況を摘記すると、

(1)  九月二六日は、中学校で福江署員より、約一〇分間位一般的質問をされた。

(2)  キリスト教会では、身分、経歴などの一般的質問が終つた後は、専ら被告人が、出火に最も接近した時刻に、煙草を吸つたか否かの問答に終始し、否認を続ける被告人に対し「日頃煙草を吸う者が、そのときに吸わないというのは嘘だ。絶対に吸つている。思い出せ。」と繰り返し追求された。

(3)  同夜善教寺に寝たのは、大久保警部より「君は帰らない方がよい署員と泊りなさい。」と言われ、これに従わないと、叱られたり、不利益な取扱いを受けるのではないかと心配し、「はい」と言つて宿泊することにした。自ら宿泊を希望したものではない。

(4)  翌二七日の取調べは、前日に続き、失火事実の一点に関し、数えきれない程に、繰り返し反覆して質問が続けられた。そしてその時刻、順序、如何なる機会と関聯とにおいてその問答などがなされたかなどについては審らかではないが、次のような問答や、事実があつた。以下問答については◎を大久保警部の問いとし、△を被告人の答えとする。

まず問答の大要を摘記する。

◎ 昨夜は眠れたかね、どうかね、思い出したかね。

△ わたしは吸つていません。

◎ きみ、それならどうした火かね。

△ 自然発火か、電気と思う。

◎ 自然発火か電気かは調べさせているからわかるが、きみの煙草に違いないのだが?

△ 吸つていません。

…………そうするうち…………

◎ きみが放火したのではないか?

△ そんな大それたことはしません。放火しなければならない理由がどこにありますか。

◎ それならば、きみの煙草の火ではないか。

△ いいえ。吸つていません。

◎ それならよく考えてみなさい。ネズミが他所から火をくわえてくると思うか?

△ そういう馬鹿なことはありません。しかし、わたしは煙草は吸わず、放火もしていません。ただ、うち(倉庫内)から出た火とすれば、自然発火か電気と思う。

◎ しかし、きみは煙草を吸つている。煙草を吸う人間が、九時頃に吸つて、その後ずうつと吸わないということがあるか?きみ一人しかいなかつたんだ。きみは知つている。

△ わたしは一人いました。しかし知りません。

◎ きみが、煙草を吸わないとは嘘だ。それだから白状せろ。思い出せ。考えかたが足りぬ。責任感がない。警察をなめるな。思い出して言うまでは絶対にやめない。

△ それでも吸つてないと言い続けた。

◎ きみが、そう思い出さないと言うなら、調書は放火でとる。放火を調書でとつたら一〇年の懲役にいくとばい。それでもよいか。…………とどなられた。…………

△ いいえ。そんなに言われても、吸つてないものを吸つたとは言えません。あなた達がわたしに吸つたと言わせようとすれば、わたしは嘘しか言えません。

◎ 誰が嘘を言えといつたか、警察を馬鹿にするな。………とどなられた。…………

△ そんなら、どんなに言えばあなた達の気に合うようになるのですか、どんなに言つたらいいのですか、ほんと(真実)を言つても嘘といわれ、嘘を言えばいうなといわれるし、どんなに言つたらいいのですか。

◎ きみが、そこは腹ひとつた。こんな大火をしたのではないか、ここはきみの腹にあるんだ。

△ いぜんとして否認し続けた。

またこのような問答の間に、それはこの二七日の半ば頃だつたと思われる午後の頃に、大久保警部より、失火の方法として、一つは「一二時五分か、一時頃に起きたとき、床の中で起きて、しばらく煙草を吸つて、それから起きて、ツツカケ草履をはいて、煙草を吸いながら宿直室を出て、倉庫内に二・三歩出た。倉庫内の見える範囲を見たところ、異常はなかつたので、そこで煙草をもみ消して、これがはつきり消えたかどうかを確認せずに、戻つて床にはいつた。」(以下第一の方法と略称)であろう。もう一つは、「前同時刻に起きて、敷居に腰をかけ、それから煙草をしばらく吸つて、吸いながら倉庫内に二・三歩出た。それで倉庫内の見える範囲を見渡して、何も異常がなかつたので、そこにある荷物で煙草の火をもみ消して、それもたしかに火が消えたかどうかを確認せずに、消えたものと安心して戻つた。」(以下第二の方法と略称)。

この二つの方法以外にはない。どうだ、どんぴしやりだろうが。(記録一二三七丁以下)と仮装の事実を設定して、択一的な自白を求められた。

さらに左のようなこともあつた。それは午後三時頃になつていたのではないかと思うが、県警本部の人がはいつてきて、被告人に対し、「電気を調べたら電気ではないぞ。『きみが放火したのだ』とみんなが言つているぞ。きみ達は昨日からちつとも進んでないではないか。もういいかげんでけりをつけなさい。」と言つたので、被告人はしばらく黙つていたが、やがてその署員に対し「倉庫内の二本楠・久賀方面荷物置場の上方に、一〇〇Wの裸電球があつたが、もしかしてその電球が毀れ、附近の荷物上に落ちて、荷物に引火したのではないだろうか?」という趣旨のことを尋ねたら、福江署の西田刑事が立つてきて、「なに、きさま、なんでその発火するとかね」と言つて、西洋紙を持つてきて、電球につけ、「このように絶対に発火しない。」となんべんも言つた。

かくしてこのような取調べの結果、どのように真実を述べても警察がとりあげてくれないので、当夜宿直員であつたということに責任をとつて、嘘の自白をすることになり、午後七時頃より、前記「第一の方法」によつて失火した旨を述べ(A調書を精査するも第一の方法は記載されていないが、B、C両調書にはこれに類似の記載がある。)、A調書が作成されることになつた。なおこの自白をする前に妻の病状は知らされていた。その後前述のように帰宅した。

(5)  ついで二八日の取調べ状況は前記第五(11)のとおりであり、同日逮捕され一四日に釈放になるまで、司法警察職員および検察官の取調べならび勾留尋問を受けたが、これについては、「もう嘘の自白したんだ。無実の罪を着たのだ。今さらどうしようもない。」との心境からA調書の記載と同趣旨の自白を繰り返した。なおこの外に、検察官に送致される直前に、大久保警部より「わたし達は、ただ、あなたの調書をとつて、検事、判事にお膳立てするだけだ。この調書を食うも、食わぬも検、判事の腹ひとつだ。もしこの調書と、きみの言うことが違つて、または調書にとつたこと以外のことを言つて、検・判事に腹をかかせて、憤慨させたら、きみは軽い罪でも重くなるのだから、何でも、いまは、きみは、百円から五万円内の罰金だ。安いんだ。やさしいんだ。まあよく考えて、調書にあるように、検・判事の前に行つても、はいそうであります。はい間違いありません。とただそれだけ言つていればよい。」と言われた(なおこの点につき、大久保証人は「それは私が、本人が行くときに、とにかく、あんたは私に今まで、まあ、正直に話をしたように、これからまた検察官もお調べになるわけやから、それで正直にありのままのことを正直にお話ししなさいということを、私は申し上げたと記憶しています。」そして右は善意の助言である旨証言している。(以上速記録を引用、記録一二〇七丁)。そこで各検察官の調べに際しても(主としてC調書、)勾留尋問の際にも(D調書)問われるままに嘘の事実(自白)を認めた。

以上が被告人の述べるところの取調べ状況である。

〔二〕  右〔一〕に関聯して、主としてその取調べに当つた大久保警部の当公判廷における証言によると、

(1)  二六日以降二七日に被告人が自白を始めるまで(弁解を録取する直前まで)は参考人として調べた(重要参考人とも証言しているが。重要参考人と被疑者の相違は如何?)。しかし不審な点は究明した(記録一二一二丁以下)。

(2)  二六日夜の善教寺における被告人の宿泊は、被告人から「火災によつて多数の市民に迷惑を及ぼして申し訳がないので、町の人々と会いたくない。また家族のものにも顔を会わせたくない。それでいつしよに泊めて欲しい。」との申し出でがあり、被告人も相当興奮していたことをも考慮して、上司と相談のうえ、善教寺に泊めた。(このときはまだ参考人であつた。)

(3)  右〔一〕にあるような不当な取調べはしていない。しかし、当初から、捜査常識上の出火原因についてはあらゆる角度から質問した。

なお、〔一〕(5)記載の助言はしたことがある。

以上の供述をしている。

〔三〕  右〔一〕、〔二〕の各供述を対比すると、両供述は悉く、相違したり、対立したりしている。そのうえにその真否を判断する資料は、直接には両供述のみしかなく、この判断は右各供述のみではにわかには決し難いところであるから、諸般の事実を綜合勘案して結論を見出さなければならないところ、

(1)  さきに(第五全般)に認定した取調べの外形的事実(刑事訴訟法二二三条、一九八条一項但書および三項乃至五項、一九八条全文、一九九条、二二六条乃至二二七条、失火罪の法定刑とも対比のうえ。)

(2)  同じく(第四全般)前記A乃至E調書の各供述記載の相違点(とくに身体上或は心理的強制若くは質問方法と任意性との関聯において。)

(3)  大久保証人のいう善教寺宿泊の理由の不合理性(仮に証人の述べるような理由であつたとすれば、署員の仮泊所に、署員に混ぜて寝せるのは不適当、かつ不人情的である。むしろ、適当なる知人や親族を探してそこに宿泊させるべきで、このことはそれ程困難とは考えられない。仮に善教寺に寝せたとしてもその場所や方法が不適切である。ましてや当時なお参考人として取扱つていたというにおいては尚更のことである。また帰宅した日である二七日には被告人が言つたというところの、迷惑をかけた市民やまた家族には会いたくないとの理由は解消したのであろうか?)

(4)  大久保証人が、被告人よりの反対尋問に答えて、質問内容とは相違するが、ともあれ検察官送致の寸前に、「…………検察官から調べられたら、今までわたしに正直に話したように、正直に述べなさい。」(記録一二〇七丁)という趣旨のことを言つた事実(もつとも裁判所はこの証言をそのまま措信することはできず、この点についての判断は後記のとおりである。しかし仮にも、少くともこの言葉のみをとつても、これによる勾留中の被疑者への心理的影響や黙秘権との関聯を考えるならば不当のそしりを免れない。前記一連の取調べ行為との関聯を考慮すれば同証人の証言するような単なる助言とは同一視することはできない。)

(5)  その他大久保証人の証言全般(就中、被告人よりの反対尋問に対する同証人の応答態度が、しばしば沈黙し、または返答に窮したりして、同証人の否定的返答にもかかわらず、裁判所をしてむしろ被告人の質問にかかる事実の方が真実ではないかとの心証を深くさせたこと。)、被告人の供述および供述記載(ほぼ内容が一貫し、真に事実を体験したものとしての迫真性が感得されたこと。)、被告人の経歴、性格(主として、中には自己の利益に事を誇張したり、客観的事実と相違する(A調書と前記第一の失火方法の記載の有無など)点も見出し得るが、かといつてことさらに虚偽を作為(たとえば大久保警部の取調べ方法、第一、第二の失火方法、質問事項など。)するような性格とは認め難いこと。)

を綜合して考察すると、ここにいう被告人の取調べに関する内部的事実は、その時刻、順序、機会および供述との関聯などにつき必ずしも審らかではないが、概ね被告人の述べるところ(前記〔一〕)と同様若くは近似したものではなかつたかとの心証を強く懐かざるを得ず、反面そのようなことがなかつたとの確証はこれを見出すことができない。(なお被告人が自ら赴いて、その求めにより作成された羽田検察官作成の三七年一〇月一七日付の否認調書中の任意性に関する部分の記載と対比しても、また同日同検察官に対し善教寺宿泊の不当を訴えなかつたのは一見奇異に思われるが、このことをもつては以上の心証を左右することはできない。)

第七検察官提出の証拠の排除

叙上第四乃至第六に認定の事実に徴すると、大久保警部の前記一連の取調べは、参考人としてであればいうに及ばず、被疑者としてであつても、まず法定の手続きによらずして違法なる身体拘束を加えたうえ、かつその拘束による心理的動揺(例えば被告人のいう、善教寺宿泊についての被告人の心理状態など。)のもとに、前記第六〔一〕、〔二〕、〔三〕記載の如きさまざまな心理強制的、利害誘導的、誘導尋問的、暗示的な不当視すべき質問を反覆続行し、被告人の宿直員としての社会的責任ならびに大火の事実と、刑事責任とを、巧みに混用したり示唆若しくは暗示して、虚偽の自白を誘発するような取調べをした疑いが極めて濃厚で、右取調べは被疑者(若くは参考人)の任意出頭による取調べに関する諸法規の趣旨に反する不当なものといわざるを得ず、しかもこの不当は自白の任意性に影響を及ぼす程度のものと認められるから、同人作成の前記A、B両調書(本件の証拠として提出された同人作成のその余の調書も同様に。)は自白の任意性に重大な疑いがあるものというべく、また検察官作成のC調書も、その取調べ前に前記大久保警部の不当な取調べ経たうえに、さらに重ねて、被告人の述べるような大久保警部の利害誘導的暗示若くは示唆があり、右は何れも不当と認められ、かつその心理的影響の持続下になされたものであるから、これまた(右C調書も)その任意性に重大なる疑を懐かざるを得ない。もつとも右C調書の作成、取調べに当つては、被告人も当公判廷における供述において認めるとおり、極めて慎重を尽して取調べたうえ作成されたものであることはこれを認めるに吝かではないが、しかしこのことをもつても前記の疑念を除去することはできず、さらに一〇月一七日付同検察官作成の前記否認調書の供述記載中任意性に関する部分、第四回公判調書中のこの点に関する被告人の供述記載を加えてもなお到底右疑念を拭いとることはできない。

このようにして、右A乃至C調書はいずれも任意性に疑いがあるので、証拠能力なきものとして排除する。(またこの外、本件の証拠として提出された被告人の供述調書で、任意性につき争いのあつた、各捜査官作成の調書も、以上の当該理由により任意性につき疑いを懐かざるを得ず、これらの調書も前同様排除する。)

第八結論

かくして本件公訴事実中失火の点につき、被告人の刑責を決する資料としては、右A乃至C調書を除けば、その余の検察官提出の全証拠によつては、被告人を失火の責めがあるものとして有罪とするには十分ではないと認められる。

よつて被告人にかかる本件公訴事実はその証明が十分でないので、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡しをする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 秋吉重臣)

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